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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)1011号 判決 1973年5月31日

原告 小山敏夫こと 李秀世

原告 千木良正子

右両名訴訟代理人弁護士 小野武一

同 伊多波重義

被告 有限会社 神谷建設

右代表者代表取締役 中川明

右訴訟代理人弁護士 伏見禮次郎

被告 姫路市

右代表者市長 吉田豊信

右訴訟代理人弁護士 沢田剛

右訴訟復代理人弁護士 段林作太郎

主文

(1)  被告らは各自原告李秀世に対して六、七三四、六七〇円およびこれに対する昭和三八年三月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  被告らは各自原告千木良正子に対して二、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年三月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(3)  原告李のその余の請求を棄却する。

(4)  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告らの、その一を原告李の各負担とする。

(5)  この判決は、(1)(2)項に限り仮りに執行することができる。

(6)  なお、被告姫路市において、原告李秀世のため二、〇〇〇、〇〇〇円、原告千木良正子のため五〇〇、〇〇〇円の各担保を供託したときは、右各原告に対し、前項の仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告ら

(1)  被告らは、各自、原告李秀世に対し、一三、九四二、三〇六円およびこれに対する昭和三八年三月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告千木良正子に対し、二、〇〇〇、〇〇円およびこれに対する前同日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

二  被告ら

請求棄却および訴訟費用は原告らの負担とする旨の判決。なお、被告姫路市は仮執行免脱の宣言。

≪以下事実省略≫

理由

一  被告会社が、肩書地に本店をおき、ブロック製造、土木建築工事の請負等の事業を営むもので、昭和三八年一月二八日被告市との間において、同市を注文者とする昭和三七年高木四郷都市下水路工事の請負契約を締結し、昭和三八年三月ころには、姫路市花田町小川高木地内において、地面に深さ約二・八〇メートル、巾約一・二〇メートルの溝渠を掘進し、これに直径〇・六〇メートル、長さ約二・四〇メートルのヒューム管を埋設する工事(本件工事)を施行中であったこと、原告李が昭和三八年三月二六日右工事に従事中重傷を負ったことは当事者間に争いがない。

二  まず、本件事故の原因について考えるのに、≪証拠省略≫を総合すれば、本件工事は、請求原因(三)(事故の原因)記載のとくり、農道にヒューム管を埋設しながら北進するものであるところ、右農道の土質は土砂質でもともと崩壊し易いものであったうえ、本件事故現場附近において、右農道の東側に沿って南下する両側のみコンクリート作りの汚水溝の暗渠が直角に曲って農道を横断し、本件工事はその下部を掘進しなければならないため、掘さくした溝の側壁の土砂が崩壊する危険性が大きかったこと、しかるに、原告李は、右横断する暗渠の下を一ないし一・五メートルの深さに掘り下げた際、溝の東北側、すなわち汚水溝側の土砂が崩れ落ちて、その下半身が土砂に埋没し、脊椎折損等後記の重傷を負うに至ったものであることが認められ、この認定を左右する証拠はない。

三  そこで、次に、被告会社の責任について判断する。

(1)  まず、被告会社は、本件事故現場の工事は訴外呉本に下請させたもので、同人の雇傭する原告を指揮監督する関係になかったと主張するので、この点について考えるのに、≪証拠省略≫を総合すると、原告李は、昭和三六年ころから、叔父である訴外呉本こと呉二根(以下呉本と称する。)の輩下に、同人ほか数名の者と、主として被告会社の臨時雇として、不定期に同社に雇傭され、土木工事の土工として働いていたが、昭和三八年二月七日、以前と同様、前記訴外人を含む数名の者と共に、本件工事のため被告会社に雇傭され、以来本件事故発生の日まで、被告会社の現場監督員石田久男の指示に従って、土木工事または雑役の仕事に従事していたことが認められる。

もっとも、≪証拠省略≫には被告会社の右主張にそう供述および記載も見受けられるが、前掲各証拠によれば、被告会社においては、原告李の出勤簿を設けてその出勤状況を記帳し(但し、同原告の通称である小山敏夫名義)、ヒューム管埋設作業は出来高、その他の雑役は定額の日給を支給し、日々の作業内容は前記のように直接被告会社が指示して作業をさせていた事実が認められるのであって、これらの事実および前掲各証拠に照らして、右被告会社主張にそら各証拠は直ちに採用できず、したがって、また、被告会社の前記主張も採用することができない。

(2)  そこで、次に、被告会社の責任について考えるのに、本件工事は、前記のとおり、土砂質の農道に深さ約二・八〇メートル、巾約一・二〇メートルという狭くかつ深い溝を掘さくして、その底部に直径〇・六〇メートルというかなりの太さのヒューム管を埋設するものであって、右溝の掘さくにあたっては、左右両壁の崩壊の危険が常に伴なうものであり、≪証拠省略≫によれば、本件工事中、本件事故以前にも溝の側壁土砂が崩れた事故が二件発生していたことが認められ、ことに、本件事故現場においては、農道に並行する暗渠が直角に曲って右農道を横断し、そのコンクリート壁の下を掘進しなければならないという特殊の地形のために、コンクリート壁に接する土砂の崩壊の危険はいっそう大なるものがあったのである。したがって、この工事を請負った被告会社としては、まず全工程のうち、いかなる部分にいかなる危険が伴なうかを充分調査したうえ、各部分に応じた安全な工法を採用し、その工法が着実に守られ工事が安全に遂行されるよう各部分の担当労務者に周知徹底させるとともに、その指揮に当たる者をして、工事の進行過程を監視させるなど機に応じた適切な危険防止の措置を講じさせるべきであり、ことに、本件事故現場附近の工事に当たっては、土砂崩壊防止のため矢板を使用し、あるいは安息角を大きく取るなど安全な工法をとらしめ、もって、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があったものといわなければならない。

(3)  しかるに、≪証拠省略≫を総合すると、被告会社としては、一応、営業担当の中川明が現場監督を兼務し、その指揮下に現場監督として大谷博を、現場監督補助者として石田久男を配し、本件工事の監督態勢を整えてはいたが、現実には、右監督や監督補助者も不在がちで現場の全般には監視が行き届かなかったばかりでなく、右大谷も石田も若輩であり、他方前記呉本は水道工事の熟練者として自負し、性格が激しいこともあって、呉本の輩下にある原告李らに対しては充分監督が行き届かなかったこと、事実、本件事故当時も、大谷は工事現場に来ておらず、石田も事故現場から五〇メートル位離れた場所で女の労務者の監督に当っており、事故現場附近の工事は、呉本二根を事実上の頭とする原告李ら数名の労務者のなすにまかせる状態であったこと、そして、本件事故現場は、前記のとおり特殊な地形であって、掘さく工事が困難であるため、同時に工事に当っていた失対人夫達がこの部分だけを取り残して次の工程に進んだのを、本来は担当でなかった呉本らにこれを割り当て、しかも、その危険防止のために、特別の指示をしなかったこと、一方、本件工事には、設計段階で全工程に矢板の使用が予定されていたが、現実には附近に建物のある現場でこれを使用したほか、矢板は全く使用されておらず、また、その使用についてなんらの指示もなされていなかったこと、そのような状況のもとにおいて、原告李は二人で溝の中に入り、暗渠を背に西側を向いて掘さく作業を続け、深さ二・七ないし二・八メートルに達したとき、背後、すなわち、溝の東北側の壁面に土砂が崩れ落ちて下半身が生き埋めになったこと、しかして、この時点において、土砂崩壊の危険を監視し、原告李に対して適切な助言を与え、この危険から免れさせるような監視の任に当たる者は現場には居なかったこと、以上のような事実が認められるのであって、この認定に反する≪証拠省略≫は、前掲証拠と比照して直ちに信用することができず、他に右認定を左右する証拠はない。

(4)  ところで、右認定事実によれば、被告会社は、本件工事の施行にあたり、安全確保のために充分な監督態勢をしいておらず、とくに、前記のように地形、土質から溝の側壁土砂が崩壊する危険を伴なう本件事故現場附近の工事に際し、右危険を防止するため矢板を使用するなど適切な措置をとらなかった点で過失の責を免れず、本件事故は右過失により発生したものというべきであるから、被告会社は民法七〇九条に基づき、原告らに対し、本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

(5)  なお、被告会社は、矢板の不使用については、もっぱら原告李ら直接現場で工事に当たる労務者に責任があると主張し、≪証拠省略≫によれば、なるほど、矢板の使用は工事を手間取らせ、労務者が一般に好まないこと、その使用の必要性は、現実に掘さくの仕事を行なっている労務者が判断しうるものであることが認められるけれども、現場の労務者としては、賃金が出来高払いであったり、作業を簡易迅速に進行させうるということであれば、かなりの危険を犯しても安易な方法を選ぶことは充分考えられることであり、まして、原告李のように若輩で(後記認定のとおり当時二四年七月)経験も浅い労務者に、その判断を一任することは危険であり、また酷であるといわなければならず、その不使用に過失があっても、それは過失相殺として考慮するのはともかく、もっぱら、これを同原告の過失に帰せしめることはできない。

四  次に、被告市の責任について判断する。

(1)  まず、原告らは、本件工事が被告市と被告会社との請負契約の存在にもかかわらず、その実質は、被告市の直営に等しく、被告市は、被告会社に対し、実質的支配関係を有していた旨主張するので考えるのに、≪証拠省略≫によれば、なるほど、本件工事は被告市が特別失業対策事業の一環として行なった公共土木事業の一つであって、約二か月の工期内に延べ二、九〇一名の失対人夫を雇傭すべきことが条件とされ、被告市は、下水道課の課員をして詳細な設計および見積りをさせたうえ、被告会社に対しその仕様を指示し、一定の資材を支給し、現場監督員を常時現場に派遣して工事の進行を監督していたことが明らかであり、これらの事情からは、本件請負工事に関し、注文者である被告市が請負人である被告会社に対してかなり大きな影響力を行使しうる地位にあったことを推認するに難くない。しかしながら、反面、前掲各証拠によれば、被告市は、これらの失対人夫に対して直接指揮命令権を有するわけではなく、まして、原告李ら数名の労務者は、被告会社が独自に雇傭した者であって、なんら被告市の指示を受ける関係にはなかったこと、また、被告市において、詳細な設計、見積りをし、資材の一部を支給したというのも、下水道工事が、その設計にかなり高度の技術を要し、かつ公共の目的に適合したものでなければならないため、技術と経験にまさる被告市の担当課員が設計、見積りに当たり、ヒューム管など下水道の機能に直接関係のある主要な資材を供給したにすぎないものであること、市の派遣する現場監督員は、後記認定のとおり、実質的にはかなりの権限を有してはいたものの、その主たる職責は、工事の施工が正確に設計に合致しているか、資材の欠陥や手抜きなどがないかを逐一監視する点にあり、労務者を指揮監督するのが目的ではなかったこと、また、請負金額も、当初の契約の定めに従い、完工後清算したり、出来高に応じて支払うような形態の契約ではなかったこと等の事実が認められ、これらの事実によれば、被告会社は、なお、独自の計算と責任において本件工事を施行していたものというべきであって、本件工事については被告市が被告会社を実質上支配していたものということはできない。したがって、本件請負工事が被告市の直営事業に等しい実質を有するものとする原告らの前記主張は採用することができず、被告市の責任は、本件請負契約の注文者たる地位において、その有無を決すべきものといわなければならない。

(2)  そこで、次に、被告市が民法七一六条但書に基づき、本件事故につき責任を負うか否かについて考えるのに、およそ、注文者は、注文にかかる工事が、その性質上、当然労務者の身体に危険を及ぼすことが予測される場合には、当該工事の設計においてその危険防止の措置を盛り込み、あるいは、右工事の仕様について右危険を防止するよう指示すべきはもとより、その工事の施行中においても、各具体的状況に応じて、請負人に対し、その立場上当然期待されうる危険防止の措置を指示すべき義務があり、もし、注文者において、この義務の履行を怠り、その結果、労務者の身体に傷害を与えた場合には、注文または指図について過失があったものとして、その損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

(3)  ところで、本件工事は、前記のとおり、崩壊し易い土質の農道に、狭くかつ深い溝を掘る工事であって、労務者は、この溝に入って土砂を掘り上げる作業に従事するのであるから、溝の側壁が崩壊して、作業中の労務者が生き埋めになる危険性は、工事の性質上常に予測されるところであって、注文者たる市としては、その設計ないし仕様についての指示にあたり、右危険防止措置を講ずべきはもとより、工事の施行の過程においても、右設計ないし仕様に従った安全な方法によって工事が施行されているか否かを監視し、その立場上期待されうべき指図を怠ることのないように注意すべきものといわなければならない。

(4)  そこで、この見地にたって、被告市の責任について考えるのに、≪証拠省略≫によれば、本件工事は、被告市の作成した設計書および仕様書に基づいて工事を施行するよう指示して、被告市から被告会社に注文されたものであって、右設計書においては、溝の掘さくには、全面矢板の使用を予定し、その費用も考慮して請負金額が定められていたのであり、請負契約の条項中には、被告会社は、工事の施行により人畜、建物その他の物件に損害を与えないよう必要な措置を講じ、第三者の損害を防止しなければならず、これを実効あらしめるため、現場代理人を現地に常駐させて、工事現場を取り締るべきものと定められているのであるから、注文者たる被告としては、その注文については、過失がなかったものということができる。

(5)  しかしながら、右工事の施行段階において、被告市が前記の指図を怠らなかったか否かの点については、さらに検討を要するところである。

まず、本件工事に関し、被告市のおかれていた立場についていえば、前記認定のとおり、被告市は本件工事の注文者たる地位にあり、同市が派遣する現場監督員も、請負契約の建前としては、工事の結果について監視することが目的であったとはいえ、≪証拠省略≫によれば、現実の問題として、市の現場監督員は、技術経験の点では、被告会社の現場監督より格段にすぐれ、かつ、下水道工事が、その性質上、各部所における高低、斜度等技術面において高度の正確性を要求されるために、被告市の監督員の監督は厳しく、同人の不在中にヒューム管を埋設したような場合は、厳重な抗議を受けるような事情にあったから、工事の進行については、自然、被告市の現場監督員が被告会社の現場監督より上位にたち、労務者達も、被告市の現場監督員の指示に従って工事を施行するようになっていたこと、そして、現実にも、被告会社の現場監督は、工事現場には不在がちで、工事の施行について、被告市の現場監督員の指示に従わざるをえない状況にあったことが認められるのであって、このような被告市の立場からいえば、同被告は、前記の如く当初の設計ないしは仕様上指示されていた矢板の使用など危険防止措置が、実際の工事の施行段階においても、現実に行なわれるように、逐次指図すべき立場にあったものといわなければならない。ことに、≪証拠省略≫を総合すれば、本件工事は、被告市の昭和三七予算年度の工事であって、昭和三八年三月末日までに完工すべきものであったにもかかわらず、入札が遅れたため、同年一月三〇日からわづか二か月間に延長一、二〇〇メートル余に及ぶ下水道工事を完成させざるをえず、全体として工事の進行が急がれていたうえ、右期間内に延べ二、九〇一名という大量の失対人夫を消化することが被告会社に義務づけられていたため、同被告としても、工事現場の全般にわたって監督を行き届かせることが困難であったことが認められるのであって、このような事情のもとにおいては、被告市の現場監督員の危険防止の指図は、いっそう強く期待されていたものといわなければならない。

ところで、≪証拠省略≫を総合すれば、被告市の現場監督員である青田夘三郎は、本件工事の着工後少し遅れて、昭和三八年二月初め、前任者の後を受けて本件工事現場に着任したが、当時の工事施行状況は、三メートルに及ぶ深い溝に矢板も使用せず手掘りをしている危険な状態にあり、その監督も行き届かない状況にあったため、上司である被告市の芝田下水道課長に現場をみせておく必要があると判断し、翌日、同課長と共に現場を巡視したが、同課長は同監督の忠言や一部労務者の要望にもかかわらず、矢板を使用するなど危険を防止するための改善策について何の指示をすることもなく、現状のままの工法を是認する言動をとったため、以後の工事についても、被告市の現場監督員は、特に矢板の使用を指示することもなく推移し、危険防止の措置は、もっぱら各労務者の判断に委ねられたままの状態に止ったこと、そのため、前記認定のとおり、本件事故現場は、特殊な地形であったため、事前に通常の注意をもって観察すれば、矢板を使用せず手掘りを続けた場合は、土砂の崩壊する危険が発生することは容易に予測されたにもかかわらず、被告市は、特段の対策を講ずることもなく、また、被告会社に対してなんらの指示もしないまま、原告李が矢板を使用せずに溝の中に入り手掘り作業をするに委ね、その結果、本件事故を招来するに至ったことが認められる。

≪証拠判断省略≫

ところで、右認定事実によれば、本件工事は、工事の性質上、当然、土砂崩壊による労務者への危険が予測されうるものであったうえ、短期間に大量の非熟練労務者を投入する強行日程の工事であって、労務者の監督も不行届であり、工事の施行上も、いっそうその危険性の大なることが予見され、実際にも、被告市の現場監督員は、労務者達が矢板を使用しないで手掘りをするなど、危険な方法で工事を施行しているのを目撃していたにもかかわらず、工事の施行につき、実際上強い監督的立場にあった被告市は、あえてその是正措置を講ぜしめることなく、漫然と労務者のなすがままに放置していたため、本件事故を招来するに至ったものということができる。してみれば、被告市は、本件工事の注文にあたり指示されていた危険防止措置を現実の工事施行に当っても忠実に実現すべくその立場上要請される指図をしなかったものということができるのであって、この点においても、同被告には指図の過失があったものといわなければならない。そして、本件事故は、右の経緯に照らし、右指図の過失によって生じたものということができるから、被告市は、民法七一六条但書に基づき原告らに対し、本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務がある。

(6)  被告市は、同市の現場監督員は、単に工事が設計どおりに施行されているかを監視するもので、工事を監督するものではなく、しかもそれは権利であって義務ではないといい、≪証拠省略≫によれば、本件請負契約書の文言のうえでは、たしかにそのように解せられないではないが、現実の工事の施工の過程において、被告市の現場監督員のおかれていた状態は前記認定のとおりであるから、被告市としては、その実情にあわせて、適切な指示を行ない、工事の安全な施行を果すべき役割を課せられていたものというべきである。したがって、被告市と被告会社との間の契約条項のうえで、被告市の権限、ひいては同市の派遣する現場監督員の権限がどのように規定されていたかということは、前記被告市の責任を直ちに否定するものとはいえない。

また、被告市は、その注文者という立場からして、被告会社との責任の軽重をいうが、被告市と被告会社の責任は、それぞれ独立した別個の原因に基づくものであって、各被告は、それぞれの責任に基づいて直接被害者たる原告らにその受けた損害を賠償すべき関係にあるのであるから、被告らの間で最終的にいずれがどの程度の負担を負うかの問題はさておき、原告らに対する賠償責任について、各自の責任の軽重をいうことは当をえない。

なお、被告市は、本件事故が、もっぱら現場にいて土砂崩壊の危険性を判断しうる被害者李の過失によるものであるというが、その主張の直ちに採用しえないことは、前記三(5)に説示したとおりである。

五  ところで、被告らは、本件事故について、原告李らにも過失があり、その損害額の算定にはこの過失も参酌されるべき旨主張するので、以下この点について判断する。

原告李が、当時年令も若く、かつ、経験も浅い労務者であって、工事の施工に責任のある地位にある者ではなかったことから、本件事故の責任をもっぱら同人に帰せしめえないことは既述のとおりである。しかしながら、反面、本件のように平地に溝を掘る作業においては、その土質や地形などから、掘さく作業に当たる者が、土砂崩壊の危険を判断し易い立場にあることもまた事実であって、現に、≪証拠省略≫によれば、本件事故発生の直前、同原告は、農道を横断する暗渠の反対側では、掘る土が溝の中にどんどんずり落ちて来て危険な状態であったことを認識していた。また、≪証拠省略≫を総合すれば、原告李は叔父(母の弟)にあたる訴外呉本二根の指導のもとでこの種の作業を行なうようになったものであるが、右訴外人は永年下水道工事に携った経験があることから、関係者の間では下水道工事の熟練者として通っており、自分もそれを自負していたこと、このような関係から、同訴外人は、終始原告李と行動を共にし、万般にわたってその面倒をみると同時に、その仕事の指導をもしていたこと、そのため、被告会社の現場監督も右呉本の輩下の者については同人の指導に委ねて、同人に対してさえもとかく指示することは控えていたこと、右呉本は、本件事故当日も、原告李と行動を共にし、同一の部所で作業にあたっており、本件事故発生の直前には、原告李の作業していた溝の上でセメントを練る作業に従事しており、本件事故現場の状況は充分認識しうる地位にあったこと、以上の事実が認められる。これらの事実によれば、原告李およびその親族として現場で仕事の指導をしていた前記呉本らは、通常の注意をもって作業にあたっていたならば、本件事故を防止しえたか、あるいは、その損害をより軽度に押えることができたにもかかわらず、充分その点に注意を払わなかったため本件事故を招来したものといわなければならず、原告李側のこの過失も、本件損害の算定には参酌しなければならない。そして、その割合は、前記各事情を考慮のうえ、一割をもって相当とすべきである。

六  そこで、次に原告らの受けた損害の額について判断する。

(1)  ≪証拠省略≫によれば、原告李は、昭和三八年三月二六日本件事故により、頭蓋骨陥没骨折、顔面挫創、第一、二腰椎脱臼骨折、脊椎損傷、右大腿骨折等の重傷を負い、同日から同年一〇月一〇日まで姫路市豆腐町阿保病院に、同日から昭和四〇年六月七日まで同市白浜町の佐藤整形外科病院に、同日から翌四一年三月一六日まで大阪市阿倍野区の鳥潟病院に、次いでいくつかの病院に順次入院して治療にあたったが、その間昭和四〇年六月ころには下半身不髄のまま再起不能となることが確定的となり、歩行は車椅子によるか歩行補助用両下肢装具を着用して短距離の移動が可能であるにすぎず、胸髄損傷のため膀胱、直腸障害を起し、自動的排便、排尿は不能となり、他動的にこれを行なうため尿失禁を伴い、性機能は麻痺し、脊柱脱臼により運動制限は顕著で、両下肢は変形し、特に両膝関節は他動的にも運動は困難で、内科的にも、腎臓の機能低下が著明で尿路感染により常に発熱の危険にさらされる等の症状を呈し、そのため常に看護を要し、坐位における作業が短期間行ないうるにすぎず、将来にわたって職業復帰は全く期待しえない状況にあることが認められ、この認定に反する証拠はない。したがって、原告李は、本件事故によって、完全に労働能力を喪失したものというべきである。

(2)  ところで、≪証拠省略≫を総合すれば、原告李は昭和一三年八月二一日生れで、本件事故当時二四年七月の健康な男子であって、前記のとおり土工として働いていたものであり、当時、一日につき二、〇九一円の平均賃金(休日を含む月間の平均賃金額)をえていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、厚生省発表の第一一回(昭和三五年)生命表によれば、二四才の男子の平均余命は四五・四八年であり、土工は、その仕事の性質からして、少なくとも原告李の主張するように五六才まで就労が可能であると考えられるから、同原告の将来の就労可能年数は三一年とみるのが相当である。ところで、同原告が、昭和三八年三月三一日から同四一年三月三〇日まで労働者災害補償保険法所定の休業補償給付として、次いで同月三一日以降同法所定の長期傷病補償給付として、右金額の六割の給付を受けていることは同原告の自陳するところであって、同原告は、得べかりし利益の計算上もその六割を減じて損害の賠償を求めているので、この点をも考慮し、かつ、前記過失相殺の割合をも参酌すれば、原告李の被告らに請求しうべき逸失利益の損害額は、総額の三割に相当することになる(過失相殺により一割を減じ、労災保険給付により六割を減ずるため残額は総額の三割となる。)。

そこで、以上の数値を基礎として、年別ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すれば、右逸失利益の認容額は、次のとおりとなる。

2,091円×365(日)×18.42147049(31年の指数)×0.3=4,217,862円(円未満切捨て)

(3)  原告李は、右長期傷病補償給付額が昭和四五年四月以降一・九倍に上昇したことをもって、同月分から、得べかりし利益の算定基礎をなす平均賃金も一・九倍として計算すべき旨主張するが、逸失利益は、事故当時、将来賃金上昇の蓋然性が証明されない限り、原則として事故当時の賃金を基礎として算定すべきであって、事故後の救済変動によって右算定額を修正すべきものとはいえないところ、右補償給付額の上昇は、物価上昇等その後の経済変動により補償給付額の実質額が低下するのを防ぐために、補償給付額を修正するものであるから、これをもって、逸失利益の算定の基礎となる賃金が上昇したものとすることはできず、また、本件事故発生当時、原告李の賃金が、将来右主張の如く上昇する蓋然性があったものとするに足りる証拠もないから、原告李の右主張はたやすく採用することができない。なお、補償給付額がその後増額された理由が前記のとおりである以上、右増額部分を逸失利益のうち、本訴請求部分から控除すべきでないことは明らかである。

(4)  次に、原告李の被った、その余の物質的損害について審案するに、≪証拠省略≫を総合すれば、原告李は、本件事故によって、入院、治療、その他事故に関連した諸費用として以下の金員の支払を余儀なくされたことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(イ)  車椅子代 七六、五〇〇円

右は、原告李が入院中歩行ができないため、二度にわたって購入を余儀なくされた車椅子代で、保険では一台しか支給されず、療養が長期にわたったため、この一台では足りなかった。

(ロ)  電話代 一〇、〇八四円

原告李が病院に入院中、原告千木良が、被告会社等と示談交渉その他の必要やむをえぬ連絡のため病院からかけた電話代。

(ハ)  個室代 七六、五〇〇円

原告李は、前記認定のとおり、下半身不随で自動的排尿排便ができぬ等不自由な療養生活を送っていたため、他の入院患者との関係もあって個室の使用が必要であり、その部屋代として支出を余儀なくされたもの。

(ニ)  附添いをした妻の夜具代および食費の一部 八、二〇〇円

原告李は、前記のとおり半身不随であるため身の廻りの世話をするために内縁の妻である原告千木良正子が病院に泊り込むため借用した夜具料および食費。

(ホ)  医薬品代、診療費、診断書手数料等保険外医療費 四一、二一〇円

原告李は、前記認定のとおり、衰弱、疲労も激しく、栄養剤の補給を必要とし、その医薬品代、注射代、診療費、診断書手数料として支出を余儀なくされたもの。

以上合計 二八五、三四三円

ところで、原告李側には前記のとおり過失があり、その過失相殺の割合は一割を相当とするから、右に対し、原告李の賠償を求めうる額は二五六、八〇八円(円未満切り捨て。)となる。

(5)  ところで、右損害の賠償の一部として、被告会社が原告李に対し、昭和三九年四月から同四二年四月まで毎月二万円ずつ合計七四万円を支払ったことは同原告の自陳するところであるから、前記(2)および(4)の合計四、四七四、六七〇円から右七四〇、〇〇〇円を控除し、残額三、七三四、六七〇円が、原告李の受くべき物質的損害の賠償額となること、計算上明らかである。

(6)  次に、原告らの慰藉料について考えるのに、≪証拠省略≫を総合すれば、以下の事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。

原告李は、昭和三二年四月原告千木良正子と事実上の婚姻をし(原告李が外国籍を有するため、婚姻の届出は未だしていない。)、翌三三年一〇月一八日長女芳枝をもうけ(渉外戸籍の関係で認知の手続が遅れたが、昭和四三年一月一六日原告李によって認知された。)、平穏で円満な家庭生活を送ってきたが、昭和三八年三月本件事故によって、突然下半身不随となり、職業に就くことはおろか、日常の用も足せない廃疾者となり、今後このまま一生を送らなければならない運命を負うこととなった。また、原告千木良は、この事故によって、将来一生を原告の身の廻りの世話に尽し、かつ、長女を育て、原告李に代って一家の柱として家庭生活を維持していかなければならない立場におかれ、その苦痛は、夫の死にまさるとも劣らないものがある。これら家庭関係、将来への失望、本件事故の状況、被った傷害の程度を考慮するならば、前記原告李らの過失、また、事故後被告会社のとった態度等を参酌してもなお、原告李の受くべき慰藉料は三、〇〇〇、〇〇〇円、同千木良の受くべき慰藉料は二、〇〇〇、〇〇〇円を下らないものというべきである。

(7)  以上を要するに、本件事故により原告らの被った損害のうち、原告らが被告らに賠償を求めうる金額は、原告李については前記(5)(6)の合計六、七三四、六七〇円、同千木良については、二、〇〇〇、〇〇〇円であって、被告らの右債務は、本件事故の翌日である昭和三八年三月二七日から遅滞に陥っているものというべきであるから、被告らは、それぞれ、原告らに対して、右各金員およびこれに対する前同日から各完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。

七  以上の次第であるから、原告李の本訴請求は、右の限度内で正当として認容すべきであるが、これを越える部分は理由がないから、失当として棄却すべく、原告千木良の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容すべきである。そこで、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行およびその免脱の各宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤平伍 裁判官 千種秀夫 三島昱夫)

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